【学歴】林家たい平の出身大学・高校まとめ!笑点引退理由は?妻との馴れ初めは?

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落語家・演芸系のタレントとして活躍を続けている林家たい平さん

日本テレビ系列の演芸バラエティ番組「笑点」の大喜利メンバーとして長年活躍してきました。

そんな林家たい平さんの学生時代にスポットをあて、エピソードを交えご紹介させて頂きます。

目次

【学歴】林家たい平の出身大学・高校のエピソードまとめ!

出身大学(武蔵野美術大学)

住所:東京都小平市小川町1丁目736

引用元URL:武蔵野美術大学Googlemap

林家たい平さんは、高校卒業後「武蔵野美術大学」に進学をします。在籍していた学部は「造形学部視覚伝達デザイン学科」で1987年3月に卒業をしました。造形学部視覚伝達デザイン学科のキャンパスは、メインキャンパスである鷹の台キャンパスにあります。

武蔵野美術大学/基本情報

  • 武蔵野美術大学は1929年に設立され、「帝国美術学校」を前身とし、幅広い教養を備えている。2025年現在は、(造形学部造形構想学部)があり、通信教育課程にも対応しています。
  • 偏差値:52.5(造形学部視覚伝達デザイン学科)/2025年7月時点情報
引用元:みんなの大学情報
  • 特色
    ・「教養あふれる豊かな人間性の確立を基盤としたところに優れた芸術が成立する」が教育の基本姿勢。
    ・学生は、教養科目や語学、体育など幅広く諸学問を学ぶ「文化総合科目」、自分の専攻とは異なる領域や他学科の授業を学ぶ「造形総合科目」、所属する学科で専門的能力を追求する「学科別科目」をバランスよく学びます。
わんまろ

林家たい平さんは、なんで武蔵野美術大学を選んだのかな?

にゃんまろ

林家たい平さんは、美術教師を志していたという理由から、武蔵野美術大学を選んだようだよ!元々は学校の先生になりたかったそうで、高校の進路相談で話したところ、東京藝術大学卒の美術教師をしていた担任の先生が「美術大学に行って美術の先生になる道がある」と勧めてくれたんだって!

主な卒業生

リリー・フランキーさん
草野マサムネさん
みうらじゅんさん
水木しげるさん
ケンタロウさん
村上龍さん
引用元:映画ナタリーSPITZ OFFICIAL WEB SITEFReeNANCe鳥取県介護ポストセブンテレビ東京

武蔵野美術大学の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、芸能界では、マルチタレントのリリー・フランキーさん、ロックバンド・スピッツのボーカルの草野マサムネさん、漫画業界からはみうらじゅんさん水木しげるさん、料理研究家のケンタロウさん、小説家の村上龍さんなどが卒業されています。

わんまろ

卒業生のさんは、草野マサムネさんはラジオのパーソナリティもしているんだよね?

にゃんまろ

そうだね!草野マサムネさんは、TOKYO FMで放送されている「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」でラジオのパーソナリティを努めているよ!自身が影響を受けたアーティストについてや、様々なジャンルの音楽を紹介しているよ!

大学時代のエピソード

引用元:岩崎電気株式会社武蔵野美術大学

林家たい平さんは、大学入学前に美大予備校である「すいどーばた美術学院」に通いながら1年間浪人をしていました。ここでデッサンや画材に触れ、アートの感性を磨いたのちに、武蔵野美術大学に進学しています。

大学在籍期間中は落語研究会に入部していました。美大に落語研究会があることに驚き、興味本位で中を覗いたときに、先輩たちが廃部の相談をしていたそうです。すると、優しそうな先輩たちが「入部させたりしないから一緒にコタツにあたりませんか?」と声をかけてくれ、話を聞くと、部員数が少ないために廃部寸前に追い込まれていることを知りました。

林家たい平さんは、当時、落語が好きだったわけではなく、先輩たちを廃部の危機から救いたいという思いで落語研究会に入部を決意。その後、先輩や友人に「畳が敷いてあって、コタツもあるし、お昼ごはんもそこで食べられるし、課題もできるから入らない?」と誘い、部員を15人位上増やし廃部を免れることができました。そして、1年生にも関わらず副部長を任せられましたが、落語のことは誰も研究せずに、授業後に部室でお好み焼きを作ったりコントをしたりなどして過ごしていたそうです。

落語に本格的にのめり込むようになったのは、大学3年生の頃にラジオで聴いた人間国宝・五代目柳家小さん師匠の『粗忽長屋(そこつながや)』がきっかけだったそうです。声だけで風景など何もかもを想像することができ、人を笑わせ幸せな気持ちにさせられる落語に、「デザインは人を幸せにする」という今学んでいるデザインの世界と一緒だと感じました。また、紙に絵を描いてデザインするより、しゃべって表現するほうが自分に向いていると思ったそうです。

大学4年生の春休み、自分が本当に落語家としてやっていけるのかを確かめるために、着物を着て下駄を履き、フンドシを締めて「奥の細道」を15日間歩くという旅に出ました。弱い人間だということを自覚していて、落語家の厳しい世界でやっていけるのか不安が大きく、途中で逃げ出してしまうのではないかを見極めるための旅だったそうです。最初こそ恥ずかしさから何も動けずにいたものの、仙台や石巻の老人施設で落語を披露したとき、「久しぶりに声を出して笑った、楽しかった」という言葉をもらい、落語家になると決意しました。

落語研究会での高座名は「遊々亭迷迷丸(ゆうゆうていめめまる)」で、大学4年生の頃に「白鶴杯関東大学落語選手権」で「妖精ピンチッチ」という自作の落語を披露し、審査員特別賞を受賞しました。

武蔵野美術大学卒業後は、子どもの頃から家族で見ていた「笑点」で、お笑いのパワーを感じていた林家こん平さんに弟子入りを志願し、6年間の行儀見習いののち、現在の「林家たい平」の名前を授かりました。

また、林家たい平さんは2010年から武蔵野美術大学・造形学部の客員教授として、2025年現在も現役で授業を行っています。

出身高校(埼玉県立秩父高等学校)

住所:埼玉県秩父市上町2丁目23-45

引用元URL:埼玉県立秩父高等学校Googlemap

林家たい平さんは、「埼玉県立秩父高等学校」を卒業しています。美術部に所属していて、絵や作品制作に熱中していました。この埼玉県立秩父高校は、学校行事の中でも生徒が主体となって行われる体育祭と、「いちょう祭」と呼ばれる文化祭が盛んなことでも有名ですよね!

埼玉県立秩父高等学校/基本情報

  • 埼玉県立秩父高等学校は、普通科国際教養科」が設置されており、普通科は特進クラスと総合進学クラスに分かれ、国際教養科は英語に特化した学科です。
  • 偏差値:普通科/53
引用元:みんなの高校情報
  • 特色
    ・「礼節と主体性を備え、地域の期待に応える活力ある進学校」を目指した充実した教育プログラムの整備を進め、精力的な教育活動を展開しています。
    ・本校では学校行事が盛んで、体育祭やいちょう祭(文化祭)などは生徒の主体性や創造性が育まれる場となっています。
わんまろ

林家たい平さんは、高校時代部活動はしていたのかな?

にゃんまろ

高校時代の部活動は美術部に所属していたよ。その部活動を選んだ理由は、もともと絵を描くことが好きで、中学時代も「美術の授業が好きだった」だからなんだって。また、自分のペースで活動できることも性格に合っていたみたいだよ!

主な卒業生

冠二郎さん
絢月晴斗さん
新井信宏さん
黒澤翔太さん
金澤まいさん
椹木野衣さん
引用元:日テレNEWS宝塚歌劇団NHKFull Countアクセント多摩美術大学

埼玉県立秩父高等学校の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、芸能界では演歌歌手の冠二郎さん、宝塚歌劇団男役の絢月晴斗さん、アナウンサーの新井信宏さん、スポーツ界からは黒澤翔太さん、声優の金澤まいさん、美術評論家の椹木野衣さんなどが卒業されています。

わんまろ

卒業生の金澤まいさんはどんな作品に出ているの?

にゃんまろ

金澤まいさんは、2016年アニメ『三者三葉』の主人公・小田切双葉役で注目を浴びたんだよ!2025年7月現在は、放送中のアニメ『地縛少年花子くん2』で地縛系役柄で存在感を発揮中だよ!

高校時代のエピソード

引用元:クロワッサンONLINE

林家たい平さんは、高校在籍期間中、ドラマ『3年B組金八先生』の影響を受け将来は学校の先生になりたいと考えていました。しかし、勉強が得意ではなかったため、進路相談で美術の担任教師である村井進先生から「美術大学に進学すれば、美術の教員になれる」という助言を受け、美術の道を志すようになります。

当時、美術部に所属し、石膏像やコンクリート像などを熱心に描いていました。自由な校風の秩父高等学校では、放課後も美術室に通いつめる日々だったようです。先生というよりも身近な大人の存在だった村井先生は、「ありふれた日常に感動する心を養っておきなさい」と教えて、この言葉は今でも強く残っていると話しています。

日々の暮らしの中で、たとえば曇り空の表情や、道端に咲く草花に目を向け、心を動かすこと。それが、表現する者にとって大切な土台になるという教えでした。林家たい平さんはこれを「自分の中の“感動のコップ”を満たすこと」と表現し、落語家として舞台に立つ今も、日常から感情を汲み取る姿勢を大切にしています。村井先生のこの一言が、後の表現活動の原点となっていると言えますね。

また、高校3年生の文化祭では、友人たちと一緒に「イモ欽トリオ」を結成しました。流行のお笑いユニットを模して「ビートあきら」という芸名で漫才を披露し、校内を回って爆笑を誘ったそうです。林家たい平さんは「高校の中ではわりと賑やかな存在だった」と振り返っています。

画像は、父親が営んでいたテーラーを改装してできた美術館です。演劇場で飾っていた画や切り絵、笑点お馴染みの展示物が並んでいるそうです。

出身中学校・小学校

住所:埼玉県秩父市上町3丁目13-48

引用元URL:秩父市立秩父第二中学校Googlemap

林家たい平さんは、「秩父市立秩父第二中学校」を卒業しています。バレーボール部に所属していて、チームの一員として活躍していました。この秩父市立第二中学校は、豊かな自然と歴史文化に囲まれた地域にあります。

主な卒業生

藤原竜也さん
アキラ100%さん
引用元:ホリプロソニー・ミュージックアーティスツ

埼玉県秩父市立第二中学校卒業の有名人では、俳優の藤原竜也さん、お笑い芸人のアキラ100%さんなどが卒業されています。

住所:埼玉県秩父市上町2丁目21-37

引用元URL:秩父市立花の木小学校Googlemap

林家たい平さんは、「秩父市立花の木小学校」を卒業しています。徒競走が苦手で、運動会ではわざと転んだりして笑いをとる子供時代だったようです。この秩父市立花の木小学校は、近くに荒川があり自然豊かな環境にあります。

主な卒業生

藤原竜也さん
アキラ100%さん
引用元:ホリプロソニー・ミュージックアーティスツ

埼玉県秩父市立花の木小学校卒業の有名人では、俳優の藤原竜也さん、お笑い芸人のアキラ100%さんなどが卒業されています。

小中学校時代のエピソード

引用元:子供の習い事.net

林家たい平さんは、父親がテーラーを営む家庭の末っ子として育ちました。両親は昼夜を問わず働き、家の前には仕立てを待つお客様や近所の方が集まり、林家たい平さんはそんな環境の中で自然と人を楽しませることが好きになっていったようです。また、美空ひばりさんや市川團十郎さんのモノマネで近所の人々を笑わす“演芸係”として活躍していました。

秩父市立第二中学校ではバレーボール部に所属していました。部員数が少なく、大会では全敗してしまったものの、3チームしか参加していなかったため“3位の賞状”をもらったというユニークなエピソードを公式ブログで振り返っています。

また、体育の授業で経験した8kmの長距離走では「自分は短距離より長距離向きかもしれない」と気づき、それまで短距離走や徒競走が苦手だった林家たい平さんにとって、この経験は運動への苦手意識を少しずつ変える転機となりました。それから数十年後、51歳となった林家たい平さんは2016年の『24時間テレビ』でチャリティーマラソンランナーに選ばれ、100.5kmを完走しました。当時「中学時代の長距離の感覚が、今の自分の支えになった」と語り、若い頃の体験が後年の大きな挑戦につながったことを実感していました。

画像は、小学校入学の頃、父親に仕立ててもらったスーツを着て、入学式に出席したようです。とても可愛らしいですよね。

林家たい平の笑点引退理由は?

引用元:お笑いナタリー

林家たい平さんは、日本テレビ系列で放送中の寄せ風演劇バラエティ『笑点』を引退したとされています。実際のところはどうだったのでしょうか。

林家たい平さんは、2004年に『笑点』の大喜利コーナーに師匠・林家こん平さんの代役として初登場しました。その後、明るいキャラクターとキレのあるツッコミが人気を集め、2006年5月に大喜利メンバーに昇格し、2025年7月現在もレギュラーメンバーとして活躍中です。

一体なぜ引退したとされているのでしょうか?それにはこんな理由があるようです。

理由① 林家木久翁師匠が2024年3月に笑点を卒業することが大きく報じられ、同じ「林家」であるため混同された

理由② 2022年の新型コロナ感染による休養が、「健康上の理由で引退?」という誤った印象を与えた可能性がある

「引退した」という事実はなく、休養や先輩の卒業と混同されたことが原因と考えられます。

わんまろ

林家たい平さんは、『たい平カレー』をプロデュースしたんだよね?

にゃんまろ

そうだね!『たい平カレー』は出身地・秩父名産の出汁と和風スパイスが効いたレトルトカレーだよ!林家木久扇師匠の名物商品として長年親しまれてきた『木久蔵ラーメン』とライバル関係になっているんだ。笑点の中でもしばしばこの2つの商品を茶化し合う展開が生まれているんだよ♪

林家たい平と妻の馴れ初めは?

引用元:辻屋本店

林家たい平さんは、1996年(当時31歳)に田鹿千華さん(旧姓・石垣)と結婚しました。実際のところはどうだったのでしょうか。

田鹿千華さんは、元NHK‑BSスポーツキャスターであり元リクルートの広報出身で、林家たい平さんと同じ年だそうです。2人が結婚したのは、林家たい平さんが落語家の階級の1つである「二ツ目」と呼ばれる若手の頃でした。結婚後は、主婦業と落語家のおかみさんに専念。2025年現在は、林家たい平さんの個人事務所・たい平事務所の代表として、家庭と仕事を両立しています。

詳しい馴れ初めなどは公表されていませんが、「嘘みたいにロマンチックだった」と伝えられています。

田鹿千華さんは、もともと落語に馴染があったわけではないですが、林家たい平さんの影響で興味を持つようになりました。それにはこんな理由があるようです。

理由① 林家たい平さんとの交際中、ドライブ中は音楽ではなくいつも落語を聞かされていた

理由② 林家たい平さんは結婚当時「二ツ目」だったことから、実際に高座や寄席で人を笑わせる姿を観て惹かれていった可能性がある

林家たい平さんの芸と人柄に魅力を感じ、田鹿千華さんの気持ちも自然に落語へ向かったのではないでしょうか。

わんまろ

林家たい平さんの奥様は、恐妻家としても知られているんだよね?

にゃんまろ

林家たい平さんは、笑点で「恐妻家」としてたびたびネタにしているけど、実際の夫婦仲は良好なんだよ!「恐妻」に振り回される亭主のキャラを新作落語として披露するなど、おもしろ演出の一部にしているんだ!仲がいいからジョークにできるんだよね!

これからも、明るい笑いと人情味あふれる語り口で、聴く人の心を和ませてくれる林家たい平さんのさらなる活躍に期待したいですね!

林家たい平 プロフィール

引用元:日本コロムビア

プロフィール

  • 名前:林家 たい平(はやしや たいへい)
  • 本名:田鹿 明
  • 愛称:たいちゃん
  • 生年月日:1964年12月6日
  • 年齢:60歳(2025年7月現在)
  • 出身地:埼玉県
  • 血液型:B型
  • 趣味:イラスト、写真、ゴルフ
  • 特技:絵画、グラフィックデザイン
  • 所属事務所:株式会社オフィスビーワン
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