【学歴】嶋大輔の出身大学・高校まとめ!娘は現在何してる?ライザップで余命回避した?

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俳優やタレントとして長年にわたり幅広く活躍を続けている嶋大輔さん

1980年代には「横浜銀蝿ファミリー」の一員としてデビューし、リーゼントに学ラン姿というツッパリスタイルをトレードマークに、音楽シーンやドラマで強烈な存在感を放ちました。

その後もドラマや映画で役者としての幅を広げ、バラエティでは豪快かつ人情味あるキャラクターで人気を集めています。

近年では、糖尿病の危機や「余命4年」との宣告を受けたことをきっかけにライザップへ挑戦。体重15kg以上の減量や血糖値改善を成し遂げ、健康面でも大きな話題となりました。

そんな嶋大輔さんの学生時代にスポットをあて、当時のエピソードを交えながらご紹介させていただきます。

目次

【学歴】嶋大輔の出身大学・高校のエピソードまとめ!

デビュー当時の嶋大輔さん
引用元:日刊ゲンダイX

嶋大輔さんは高校を中退後、大学には進学していません。その代わりに芸能活動へ専念し、10代でデビューを果たしました。普通なら大学生活を送っている年齢で、彼はすでにスター街道を歩み始めていたのです。

嶋大輔さんが芸能界入りしたのは、高校時代にロックバンド「横浜銀蝿」のコンサート会場でスカウトされたことがきっかけでした。不良キャラそのままの存在感が評価され、芸能界への扉が開かれたのです。

しかし、いざ事務所に入ってみると待っていたのは意外にも体育会系の厳しい指導でした。「リーゼントでジャージ姿のまま、渋谷駅近くの桜丘を何周もマラソンさせられましたからね(笑)。まずは体力をつけろって言われて」と本人も振り返っています。不良少年が突然大人の世界に放り込まれ、右も左も分からないまま、文句を言いながら体力づくりや礼儀作法を叩き込まれる日々でした。

芸能界に入るつもりなんてハナからなかった」という嶋さんですが、そこで自然と目上の人への言葉遣いやスタッフとの接し方を学び、それが後の芸能生活において大きな財産となりました。

そして1982年、シングル『男の勲章』をリリース。オリコン週間チャートで最高11位、累計50万枚以上を売り上げ、当時の若者文化を象徴する大ヒットとなります。

学園ドラマ『2年B組仙八先生』の主題歌に起用されたこともあり、放送翌日には学校で生徒たちが一斉に口ずさむほど。学ランやリーゼントを真似する若者が急増し、「男の勲章」という言葉自体が不良文化の代名詞となりました。

転機となったのは横浜銀蝿の解散後。嶋さんはドラマ出演を通じて初めて芝居に興味を持ち、「役者になりたい」と考えるようになります。当時の事務所の重鎮・故嵐ヨシユキさんに「リーゼントをやめて芝居がしたい。事務所を辞めたい」と告げると、嵐さんは「それがおまえの選んだ道なら行け。ただし二度と戻ってくるな」と送り出してくれました。

この一件は嶋さんにとって大きな決断の瞬間であり、流れに乗せられて芸能界に入った少年が、自らの意思で「芝居」という道を選び直した象徴的な出来事でした。

その後はドラマ『スクール☆ウォーズ』や映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズに出演し、アイドルから実力派へとキャリアを重ねていきます。大学生活こそ経験しなかったものの、芸能界という実社会で磨かれた経験は、学歴以上に嶋大輔さんを強くしたといえるでしょう。

わんまろ

嶋大輔さんは、なんで芸能界を選んだのかな?

にゃんまろ

嶋大輔さんは、高校2年生のとき、ロックバンド「横浜銀蝿」のコンサート会場でスカウトされたのよ!、嶋さんのリーゼントやヤンキーキャラは横浜銀蝿のスタイルそのものだったから、「そのまま芸能界で売れる」と判断されたんじゃないかな?大当たりだったね!

出身高校(平塚学園高等学校)

住所:神奈川県平塚市高浜台31-19

平塚学園高等学校
引用元URL:WikipediaGooglemap

嶋大輔さんは、「平塚学園高等学校」に1980年入学し芸能界デビューを機に高校中退されています。

この平塚学園高校は、運動部・文化部ともに全国レベルの成績を収めています。野球部は甲子園出場経験があり、サッカー部やチアダンス部、吹奏楽部も活発な活動を展開。運動部・文化部ともに全国レベルの成績を収めていることでも有名ですよね!

平塚学園高等学校/基本情報

  • 平塚学園高等学校は、戦後間もない1942年の創立以降、時代ごとの教育ニーズや進学要請に応じて変貌と発展を遂げてきた歴史ある高校です。
  • 平塚学園高校は、「特進選抜コース」「特進コース」「進学コース」が設置されており、国公立大学や早慶・MARCHなどの進学実績も豊富です。
  • 偏差値:普通科特別選抜コース/61、普通科特進コース/56、普通科進学コース/49
引用元:みんなの高校情報
  • 特色
    ・平塚学園高等学校は、戦後間もない1942年の創立以降、時代ごとの教育ニーズや進学要請に応じて変貌と発展を遂げてきた歴史ある高校です。
    ・普通科への転換、進学指導体制の整備、校舎・施設設備の整備、野球をはじめとする部活動の全国舞台への進出など、常に進学・実践・文化が融合する学校としての歩みを続けています。

高校生活の中で、嶋さんは特定の部活動には所属していませんでした。その代わりに、学校外で暴走族の活動にのめり込み、夜は仲間とバイクを走らせる日々。部活のグラウンドや体育館ではなく、街や道路が彼にとっての“活動の場”だったのです。

芸能界に入ってからは、事務所の先輩である横浜銀蝿のメンバーから「まずは体力だ」と毎日のように走り込みやトレーニングを課されました。その厳しい体育会系のしごきは、まるで部活の練習のようで、結果的に精神面・体力面の基礎を鍛える貴重な経験となったそうです。

わんまろ

嶋大輔さんは、高校時代成績はどうだったのかな?

にゃんまろ

嶋大輔さんは、当時の成績は決して優秀とはいえず、勉強よりも仲間と過ごす時間や外での活動に情熱を注いでいたようね。高校生活の多くは、仲間とのつながりや自分らしい生き方を模索する時間だったみたいよ!

主な卒業生

山田悠介さん
柳川洋平さん
鈴木真理さん
内田瑞己さん
小澤純子さん
大迫 晴香さん
引用元:幻冬舎ルネッサンス中日新聞cyclowired.jp超WORLDサッカー!TEAM JAPAN日本陸上競技連盟

平塚学園高等学校の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、文芸界では、小説家の山田悠介さん、スポーツ界では元プロ野球選手の柳川洋平さん、自転車プロロードレース選手でアテネ五輪代表の鈴木真理さん、プロサッカー選手の内田瑞己さん、サッカー選手でアトランタ五輪代表の小澤純子さん、女子砲丸投げの大迫 晴香さん、などが卒業されています。

わんまろ

卒業生の大迫 晴香さんは、女子砲丸投2025年 日本ランキングでは
2位15.71mの成績を残しているよね?

にゃんまろ

そうだね!大迫 晴香さんは、2025年 7月の日本陸上競技選手権大会では、3位(15.29m)。2025年 8月のAll-Star Night Gamesでは15.71mで優勝 。自己記録更新したんだって!すごいよね!

高校時代のエピソード

17歳の嶋大輔さん
ランチタイムは普通の高校生だったのかなと
嶋大輔さんを想像して制作
引用元:X、筆者制作

嶋大輔さんの高校生活は、まさに“二つの顔”を持っていました。

外では約300人ものメンバーを抱える横浜の暴走族で幹部を務め、「頭に剃り込みとメッシュを入れたバリバリのヤンキー」として地元でも名を馳せていました。夜はバイクを走らせ、仲間とつるむ姿はまるで不良映画の主人公そのもの。

一方で、学校ではクラスメイトと冗談を言い合ったり、昼休みに友人と弁当を囲んで笑い合う“普通の高校生”らしい一面もありました。

後輩からは強面で恐れられつつも、仲間思いの性格から頼れる兄貴分として慕われる存在でもあったのです。授業中には先生とぶつかることもありましたが、その堂々とした態度は逆に存在感を際立たせていました。

そして高校2年生のとき、ロックバンド「横浜銀蝿」のコンサートを訪れた際にスカウトを受け、芸能界への扉が開かれます。不良として名を馳せた嶋大輔さんが、まさか芸能界というまったく別の舞台で活躍することになるとは、本人も予想していなかったでしょう。

出身中学校・小学校

住所: 神奈川県藤沢市辻堂新町2丁目13-1

藤沢市立明治中学校
引用元URL:WikipediaGooglemap

嶋大輔さんは、「藤沢市立明治中学校」を卒業しています。中学時代の嶋さんは部活動には参加せず、「ケンカと不良仲間との時間」にエネルギーを注いでいました。

藤沢市立明治中学校は、1947年(昭和22年)第二次世界大戦後の新教育制度(6・3制)の発足に伴い創立され、藤沢市で最初に創立された6つの中学校の一つとして開校しました。

運動会、文化祭、合唱祭などが活発に行われており、部活動も盛んです。

主な卒業生

セイン・カミュさん
今井翼さん
引用元:映画.com松竹エンターテイメント

神奈川県藤沢市立明治中学校卒業の有名人では、タレントのセイン・カミュさん今井翼さん、等が卒業されています。

引用元:筆者制作

嶋大輔さんは兵庫県西宮市で幼少期を過ごし、小学校時代は地元の公立校に通っていたとされています。具体的な校名は公表されていませんが、スポーツが得意な活発な少年で、野球ではピッチャーとして活躍していたようです。

小中学校時代のエピソード

この頃はリーゼントじゃないでしょうけど
イメージで制作した小学校時代の嶋大輔さん
引用元:筆者制作

嶋大輔さんは兵庫県西宮市で生まれ育ち、小学校時代までは関西で過ごしました。しかし、中学に上がるタイミングで家族の都合により神奈川県藤沢市へ転校し、藤沢市立明治中学校に入学します。

転校先では関西弁をからかわれるという屈辱的な体験をし、それが人生を変える大きな転機になりました。

後に本人も「関西弁をバカにされたのが悔しくてグレた」と語っており、この出来事がきっかけで毎日のようにケンカに明け暮れる生活へと変わっていったのです。

やがて地元の不良仲間から一目置かれる存在となり、藤沢周辺で暴走族活動に関わるようになります。中学時代のこの経験は、後に横浜で約300人規模の暴走族の幹部にまで昇りつめる布石となりました。

そんな荒れた日々の中にも偶然の縁がありました。不良仲間とよく集まっていた戸塚のゲームセンターで、横浜銀蝿とつながりを持つ人物と知り合います。

その人物からコンサートチケットを150枚配ってほしいと頼まれ、学校で配布したことをきっかけにライブ会場へ足を運び、そこでスカウトを受けたのです。

この出会いが芸能界デビューへとつながるのですから、まさに中学時代の“グレた経験”が後の人生を切り開いたと言えるでしょう。

当時の嶋さんは屈辱を受け入れるのではなく、反発心で自分を証明する道を選びました。負けず嫌いな性格とケンカで培った存在感は自然とリーダーシップへと結びつき、不良グループの中でも頭角を現していきました。振り返れば、その「反骨心」こそが後の芸能活動における強烈なキャラクターを形づくる源になったのです。

今では還暦を迎え、ライザップで健康を取り戻し、家族と穏やかに暮らす嶋さんですが、中学時代に培った「負けず嫌い」な精神は、壮絶なトレーニングを乗り越えて糖尿病の危機を克服する力の源にもなっているのです。

このように嶋大輔さんの中学時代は、単なる不良時代の始まりではなく、自分のアイデンティティを守ろうとした強さが芽生えた時期であり、その強さが芸能界での成功や健康改善にまでつながっていることが分かります。

【学歴】嶋大輔の娘は現在何してる?ライザップで余命回避した?

嶋大輔の娘は現在何してる?

引用元:X

嶋大輔さんの長女・彩島圭叶(KEYKA)さんは、2025年現在24歳です。女優やミュージカル女優として活動し、株式会社YMNに所属しています。

2023年にはTBSの人気番組「世界ふしぎ発見!」でミステリーハンターを務め、堂々と世界を紹介する姿に「父譲りの度胸」と称賛が集まりました。

彩島圭叶(KEYKA)さんの歩み。

  • 9歳の頃からキッズミュージカル劇団に所属。
  • 中学・高校時代に学校生活と両立しながら舞台経験を重ね、舞台度胸や表現力を磨く。
  • 2023年にTBS「世界ふしぎ発見!」でミステリーハンターに抜擢。
  • 2024年(24歳)に映画「BAD CITY」に出演し、スクリーンデビューも果たす
    ミュージカル「おぶちゃ7周年記念公演『ポエム同好会』」に出演
    舞台「流れる雲よ2024」に出演

彩島圭叶(KEYKA)さんの原点は、9歳から所属していたキッズミュージカル劇団。子どもの頃から舞台に立ち、歌やダンスを磨いてきました。英語も堪能なバイリンガルで、舞台あいさつの場で流暢な英語を披露し、観客を驚かせたこともあります。

近年では、2024年のミュージカル「おぶちゃ7周年記念公演『ポエム同好会』」、舞台「流れる雲よ2024」、さらに映画「BAD CITY」などに出演し、映像作品にも活躍の場を広げています。

本名は森島圭叶で、芸名の「KEYKA」はその名前にちなんだもの。舞台と映像を自在に行き来する次世代女優として注目度が高まっています

父・嶋大輔さんもそんな娘の活躍を陰で支えており、舞台を観劇した際には楽屋を訪れて「今日もすごくよかったぞ」と必ず声をかけるそうです。

ときには娘の演技に胸を打たれて涙ぐむこともあり、周囲の共演者から「本当に優しいお父さんですね」と言われるほど。過去には親子でテレビ出演を果たしたこともあり、並んで映る2人の姿に「そっくり!」「仲良しなのが伝わる」と話題になりました。

一方、次女は現在17歳の高校生。芸能活動については明らかにされていませんが、休日には家族で食事をしたり、姉の舞台を一緒に観に行ったりと、温かな家庭の雰囲気が感じられます。

姉の背中を間近で見ながら、自分の将来を模索しているようです。

わんまろ

KEYKAさんは、嶋大輔さんが舞台を見にきてくれることをどう思っているのかな?

にゃんまろ

KEYKAさんにとっては、自分のパフォーマンスを、幼い頃から誰よりも理解してくれている父・嶋大輔さんが直接観に来てくれることが、励みになっているんじゃないかな?「自分自身を認めてもらう瞬間」として格別に感じているかもね!

嶋大輔はライザップで余命回避した?

引用元:女性セブンプラス

嶋大輔さんが、ライザップの「健康ダイエット」に取り組んだのは 2018年からで、その後2020年9月には、体重や数値の劇的な改善を経て新たなCMにも登場しています。

当時の危機的な状況をまとめてみましょう。

  • 体重:104.2 kg
  • ウエスト:110 cm
  • 体脂肪率:32.0 %
  • 血糖値:121 mg/dL
  • 内臓脂肪面積 147.1 cm²

嶋大輔さんは、体重104.2キロ、体脂肪率32%、ウエスト110センチ超という深刻な肥満状態にあり、血糖値は121mg/dLと糖尿病が確定。内臓脂肪面積も147.1㎠に達し、医師からは「余命4年」と告げられました。筋肉量も少なく、高血圧や生活習慣病のリスクを抱え、家族からも「このままでは危ない」と心配されていたそうです。

豪快でパワフルなイメージとは裏腹に、病魔に追い詰められる中で、若い頃からの不規則な生活と高カロリーな食事、お酒、運動不足が積み重なり、「太っていることが自分のキャラクター」と受け止めていたことも事態を悪化させました。

40代以降は代謝も落ち、脂肪が一気に蓄積。嶋さん自身も「まさか自分がそんな状況になるなんて信じられなかった。けれど数字を突きつけられて初めて、命の危機だと本気で思った」と語ります。

一念発起し、週2〜3回・50分のライザップトレーニングと徹底した食事改善を1年8ヶ月継続。体重は88.5キロまで減少、体脂肪率は23.1%、血糖値は正常の86mg/dL、内臓脂肪も83.5㎠に。主治医からは「まるで別人」と驚かれるほどの変化を遂げました。

下の子が成人するまで、かっこいい父親でいたい。健康第一で長生きしたい」と語る嶋さん。娘たちの笑顔や応援が支えとなり、「自分ひとりのためじゃない」という思いが努力を続ける力になったそうです。

かつて「余命4年」と宣告された嶋大輔さんの挑戦は、家族を守るための戦いであり、多くの人に希望と勇気を与えました!

わんまろ

嶋大輔さんは、どうしてそこまで危険な状況になっちゃったのかな?

にゃんまろ

若い頃から大好きな揚げ物やラーメンを好きなだけ食べ続けたのは、大きな要因かな。でも、自分を律してダイエットをやり遂げた嶋さんは本当にすごいよね!

嶋大輔 プロフィール

引用元:X

プロフィール

  • 名前:嶋 大輔(しま だいすけ)
  • 本名:森島 裕文(もりしま ひろふみ)
  • 生年月日:1964年5月22日
  • 年齢:61歳(2025年8月現在)
  • 出身地:兵庫県西宮市
  • 血液型:B型
  • 趣味:ゴルフ
  • 特技:野球
  • 所属事務所:キャストパワー
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