長年にわたり日本のモーグル界を牽引し、多くの人々に感動を与えた偉大な選手上村愛子さん。
モーグルとデュアルモーグルの2種目で金メダルを獲得し、2冠を達成するなど、多くの感動を私たちに与えてくれました。
そんな上村愛子さんの学生時代にスポットをあて、エピソードを交えご紹介させて頂きます。
【学歴】上村愛子の出身大学・高校のエピソードまとめ!
上村愛子さんは、高等学校を卒業後、大学には進学せず、北野建設株式会社に入社されています。そして、同社のスキー部に所属しながら、プロのフリースタイルスキー・モーグル選手として活躍されました。
北野建設は、本業である建設事業で社会に貢献しつつ、スポーツを通じて人々の夢を応援し、地域社会の活性化にも貢献している企業です。
ここでは、上村愛子さんが入社された北野建設株式会社がどんな会社なのかまとめてみましょう!
北野建設株式会社
住所:長野県長野市南長野524
引用元URL:ながのテレワーク、Googlemap北野建設本社管理部
上村愛子さんは高校卒業後すぐに北野建設株式会社に入社し、スキー競技の世界に身を投じて、世界トップレベルの選手へと成長していきました。

上村愛子さんは、なんで北野建設を選んだのかな?

上村愛子さんは、安定した競技生活を続けるために北野建設に入社したのよ!18歳の上村さんにとって北野建設のスキー部が提供する環境が最も適していると判断したのでのよ!さすがね!
北野建設株式会社は、長野県長野市に本社を置く総合建設業(ゼネコン)であり、建設事業を主軸としながらも、スポーツ活動への支援に非常に力を入れていることで知られています。特にスキー部は長年の歴史を持ち、数多くのトップアスリートを輩出・支援してきました。
北野建設が輩出したスポーツ選手
佐藤 幸椰さん 佐藤 慧一さん 池田 龍生さん 引用元:NHK、日刊スポーツ、AIR、スポニチ、PR TIMES、NHK丸山 希さん 一戸 くる実さん 石川優さん
北野建設出身の選手の皆さんは素晴らしい功績を残した選手がたくさんいらっしゃいます。
スキー界では、男子スペシャルダンスの佐藤 幸椰さん、佐藤 慧一さん、池田 龍生さん、 女子スキージャンプの丸山 希さん、女子スペシャルジャンプ一戸 くる実さんさん、陸上界からは石川優さん、などがいらっしゃいます。

2025年4月に北野建設株式会社に入社したは、石川優さんは陸上競技(短距離)とボブスレーの二刀流で活躍を目指すアスリートだよね?

そうだね!石川優さんは、高校時代から女子短距離界のトップ選手として頭角を現しているよね!夏季(陸上)と冬季(ボブスレー)の両オリンピック出場を目指す「二刀流アスリート」として、2026年ミラノ・コルティナオリンピック出場を目標に掲げているようだよ!
大学時代のエピソード
引用元:時事通信社、時事通信社2009年フリースタイルスキー・モーグルの合宿での上村愛子さん 2009年デュアルモーグルの表彰台での上村愛子さん
上村愛子さんは、日本のフリースタイルスキー・モーグル選手として、数々の輝かしい功績を残しました。特に注目すべきは、冬季オリンピックに1998年の長野大会から2014年のソチ大会まで5大会連続で出場し、全て入賞を果たしたことです。これは彼女の卓越した安定性と実力を示すものです。メダルには惜しくも届きませんでしたが、バンクーバーとソチでの4位は、多くの人々に感動を与えました。
出身高校(長野県白馬高等学校)
住所:長野県北安曇郡白馬村北城8800
引用元URL:みんなの高校情報、Googlemap長野県白馬高等学校
上村愛子さんは、「長野県立白馬高等学校」に1995年4月に入学し、1998年3月に卒業しています。
長野県立白馬高等学校は、北アルプスを望む絶好のロケーションに位置し、日本有数のスキー強豪校として知られています。上村愛子さんの在学当時から現在に至るまで、数多くのオリンピック選手を輩出しています。
スキー部に所属していて、高校1年生の時にはワールドカップで活躍し、高校3年生の時に地元長野で開催されたオリンピックに出場しました。
長野県立白馬高等学校/基本情報
- 長野県立白馬高等学校は、「普通科」「国際観光科」が設置されており、多様な進路に対応しています。
- 偏差値:国際観光科/38、普通科/36、
引用元:みんなの高校情報
- 特色
・白馬高校は、世界的に有名なスキーリゾートである白馬村にあります。北アルプスの壮大な山々を望む素晴らしい自然環境が最大の特色です。
・白馬村が国際的な観光地であるという地域特性を活かし、観光に関する専門知識や技能、そしておもてなしの心(ホスピタリティ・マインド)を学びます。

上村愛子さんは、どうしてスキーを始めたのかな?

上村愛子さんは、小さい頃からご両親と一緒に長野にスキーに来ていたそうよ!生活の中にスキーが当たり前のように存在していたのね!
主な卒業生
荻原 健司さん 渡部善斗さん 渡部暁斗さん 引用元:引用元:讀賣新聞オンライン、讀賣新聞オンライン、時事通信社、時事通信社、TV-RANKING、時事通信社山田優梨菜さん 福島のり子さん 西伸幸さん
長野県立白馬高等学校の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、スキー界では、ノルディック複合の荻原 健司さん、渡部善斗さん、渡部暁斗さん、スキージャンプの山田優梨菜さん、スキークロスの福島のり子さん、モーグルの西伸幸さん、などが卒業されています。

卒業生の渡部暁斗さんは、2025年3月26日、ノルウェー・オスロで開催されたワールドカップ中に、スキー界最高権威とされる「ホルメンコーレン・メダル」を受賞したよね?

そうだね!渡部暁斗さんは、スキー界に貢献したという理由から、ホルメンコーレン・メダルを受賞しているね。日本人としては荻原健司さん、船木和喜さん、葛西紀明さん、高梨沙羅さんに続く5人目の快挙で、とても大きなニュースになったよね。渡部選手自身も「競技人生の中で最もうれしいと言っても良いぐらい感慨深い瞬間」言っていたよね!
高校時代のエピソード
引用元:朝日新聞 「長野冬季五輪」フリースタイル女子モーグル予選の
上村愛子さん
上村愛子さんが通った長野県立白馬高等学校は、北アルプスを望む絶好のロケーションに位置し、日本有数のスキー強豪校として知られています。
上村さんの競技人生の大きな転機は、中学2年生の時に訪れました。1994年、カナダ・ウィスラーでのモーグル大会を観戦したことをきっかけに、アルペンスキーからモーグルへの転向を決意。そして、白馬高校スキー部への入部が、上村さんの競技人生を大きく動かすことになります。
高校1年生だった1996年、上村さんはワールドカップ最終戦マイリンゲン大会に初出場し、いきなりの3位入賞という前代未聞の快挙を成し遂げ、世界を驚かせました。この大会では、男子の坂本豪大選手も日本人初のワールドカップ優勝を果たし、日本モーグル史上初の男女アベック表彰台という歴史を刻みました。この活躍により、上村さんは高校生ながら全日本スキー連盟(SAJ)のナショナルチームに選抜され、日本代表として世界各地のワールドカップを転戦するようになります。
高校3年生になった1998年、18歳の上村さんは、夢にまで見た地元・長野で開催された冬季オリンピックの日本代表に選出されます。大勢の期待と注目が集まる中、彼女はそのプレッシャーを跳ね返し、7位入賞という素晴らしい成績を収めました。これにより、彼女は一躍全国的な知名度を獲得し、日本のモーグル界の顔として、その後の長きにわたる活躍へと繋がっていくことになります。
白馬高校での3年間は、上村愛子さんにとって、単に競技技術を磨く場にとどまりませんでした。普通科に在籍しながらの学業と競技活動の両立、寮生活を通じた協調性と自立心の養成、そして厳しい練習環境での精神力の向上は、彼女の人間形成に大きく影響しました。
卒業後も、上村さんは母校との繋がりを大切にしています。2014年には母校のスーパーバイザーに就任し、2024年にはスキー部の講座で特別講師を務めるなど、後輩の指導にも積極的に協力しています。学校存続運動にも積極的に参加するなど、母校への深い愛情も示しています。
白馬高校で培われた「世界に通用する競技レベル」「困難に立ち向かう精神力」「チームワークの重要性」そして「故郷への愛着と貢献意識」は、上村愛子さんがその後、日本のモーグル界のレジェンドとなるための強固な基盤となったのです。
出身中学校・小学校
住所:長野県北安曇郡白馬村北城2180
引用元URL:白馬村立白馬中学校、Googlemap
上村愛子さんは、「白馬村立白馬中学校」に1992年4月に入学し、1995年3月に卒業しています。スキー部に入部しましたが、入部早々にいじめに直面し、その環境に耐えきれず、わずか1年生の夏にはスキー部を退部するという苦渋の決断をします。
スキーから一時的に離れた上村愛子さんは、部活動を陸上部に転向しました。後に「実は中学に入ってからアルペンをやめて、陸上をやってたんです」と語るほど、彼女にとってスキーから離れることは異例の選択でした。
白馬村出身の有名人
引用元:GetNavi web、PR TIMES国本梨紗さん ZUNさん
白馬村出身の有名人には、タレントで女優でもある国本梨紗さん、日本のゲームクリエイター、同人音楽家、上海アリス幻樂団の代表を務めるZUNさん、等がいらっしゃいます。
住所:長野県北安曇郡白馬村北城7078
引用元URL:白馬村立白馬北小学校、Googlemap
上村愛子さんは、「白馬村立白馬北小学校」に1986年4月に入学し、1992年3月に卒業しています。
上村愛子さんの小学校時代の部活動については、白馬村立白馬北小学校に「スキー部」のような公式な部活動があったという具体的な情報は見当たりません。
しかし、白馬村はスキーが非常に盛んな地域のため、多くの子供たちが小学校時代から地域のスキー少年団やクラブチームに所属して、本格的にスキーに取り組んでいます。上村さんも例外なく、このような形でスキーの基礎を学び、練習を重ねていたと考えられます。
彼女自身も「3歳から自然にスキーを始めていた」「気づいたら滑って遊んでいた」と語るように、学校の部活動というよりも、地域の環境の中で自然発生的にスキーが生活の中心にあった、という方が実情に近いでしょう。
彼女の才能と情熱は、この小学校時代に育まれ、後の輝かしいキャリアへと繋がっていったのは間違いありません。
主な卒業生
引用元:TEAM JAPAN柏原理子さん
長野県白馬村立白馬北小学校卒業の有名人では、クロスカントリーの柏原理子さん、等が卒業されています。
小中学校時代のエピソード
引用元:讀賣新聞オンライン白馬北小にあるスキージャンプ台で、右側が老朽化している低学年用のジャンプ台。修繕のために募金活動が行われています。
上村愛子さんは、中学入学と共に入部したスキー部で、いじめの被害に遭いその年の夏にはスキー部をやめていました。
部活動ではスキーから離れたものの、愛子さんのスキーへの情熱が消えることはありません。たとえ心が傷つき、部活動としてスキーができなくても、上村さんは個人的にアルペンスキーの練習を継続しました。「一人となっても大好きなアルペンスキーの練習は止めませんでした」という言葉からは、スキーへの純粋な愛着と、逆境の中でも好きなことを諦めない強い意志がうかがえます。
上村さんの人生が大きく動き出したのは、中学2年生だった1994年のことです。家族旅行で訪れたカナダのウィスラーで、モーグルスキーのブラッコム大会を観戦しました。
この大会で、彼女はロシアのセルゲイ・シュプレツォフ選手や、当時頭角を現しつつあった日本の里谷多英選手の滑りに深く感銘を受け、モーグル競技の魅力に初めて触れます。
さらに運命的な出来事が重なります。旅行中にお気に入りだったアルペンスキー板が盗まれてしまうという事件が起こりました。その際、実家のペンションで働いていた写真家の千安英彦さん(後に1998年長野五輪の強化プロジェクトに関わる人物)が、代わりの板としてモーグル用の板を勧めてくれたのです。千安さんが女子モーグル選手を探していたこともあり、この偶然こそが、上村さんがモーグルへと転向する決定的なきっかけとなりました。
中学時代のいじめ体験は、上村さんにとって精神的な試練でしたが、結果的には彼女に大きな影響を与えました。早い段階で困難を経験したことで、後の競技人生で必要となる精神的な強さの基礎を築いたと言えるでしょう。団体競技での人間関係の困難を経験したことで、個人競技であるモーグルでの才能が開花した側面もあります。
また、一人でも練習を続ける姿勢は、世界トップレベルでの競技を長期間継続する上で重要な耐性となりました。
この時期、ご両親は愛子さんの困難な状況を理解し、温かくサポートしました。ペンション経営という環境が、千安英彦さんとの運命的な出会いを生み出したことも、家族の存在があってこそでした。
中学2年生でのウィスラー体験後、1994年後半にはアルペンスキーからモーグルへ本格的に転向しました。そして、1995年春に長野県立白馬高等学校へ進学したことを機に、モーグル選手としての本格的な活動を開始。同年には全日本選手権で3位に入賞し、早くもナショナルチーム入りを果たすことになります。
【学歴】上村愛子は難病なの?病状は?現在の活動は?
上村愛子は難病なの?病状は?
引用元:公益財団法人日本心臓財団 心室中隔欠損
上村愛子さんは、生まれつき心臓に穴が開いている先天性心室中隔欠損症と診断されていたということですが、実際のところはどうだったのでしょうか。
結果的に、先天性心疾患が上村愛子さんの日常生活や、その後のトップアスリートとしての競技活動に自覚症状として支障をきたすことは一切ありませんでした。彼女自身も、この病気について特に意識することなく、長年にわたり世界の舞台で活躍し続けました。
それにはこんな理由があるようです。
理由① 生後間もなく心臓の左心室と右心室を隔てる壁(心室中隔)に穴が開いている先天性の心疾患と診断されたが、穴が非常に小さかったため、経過観察のみで手術の必要がなかった。
理由② ご両親は、医師の助言を受けて、より空気のきれいな環境が良いとされ、上村さんが2歳の時に長野県に移住し、ペンション経営を始めながら上村さんの健康に配慮した環境を整えました。
先天性心室中隔欠損症は、その穴の大きさによって症状や治療法が大きく異なります。
上村愛子さんの場合は、穴が非常に小さく、自覚症状もなく競技にも影響がなかったため、経過観察という形で対応されていました。ご両親が彼女の健康のために長野に移住したというエピソードも、彼女の病気への配慮からきています。
ご両親の決断と支えが、上村愛子さんの活躍の土台となったことは言うまでもありません。

上村愛子さんは、病気を抱えていたのに、トップアスリートとして、どうしてあんなに活躍できたんだろう?

それは、上村さんの先天性心室中隔欠損症が、非常に軽度だったということと、ご両親の賢明な判断と献身的なサポートがあったからよ!それに中学校時代にスキー部でのいじめを経験し、困難に屈しない精神力や、好きなことに情熱を注ぎ続ける力が、上村さんの大きな原動力となったみたいよ!
上村愛子の現在の活動は?
引用元:ORICON NEWS
上村愛子さんは、2014年に現役を引退していますが、引退後も多岐にわたる活動を通じて、スポーツ界や地域社会に貢献しています。
上村さんの主な活動は次のようなものになります。
活動① 講演活動
活動② 伊丹大使としての地域貢献
活動③ メディア出演
上村愛子さんは、現役引退後も多岐にわたる活動を続けています。
スポーツマネジメント会社であるスポーツビズに所属し、アスリートとしての豊富な経験や培ってきた精神論をテーマに、全国各地で講演活動を行っています。
また、出身地である兵庫県伊丹市の親善大使「伊丹大使」も務め、地域の魅力発信や活性化に尽力。例えば、2024年11月23日には、伊丹市のきららホール20周年記念イベントでトークショーを開催するなど、具体的な地域貢献にも取り組んでいます。
その他、テレビ番組や雑誌、ウェブ媒体では、スキー競技の解説者やスポーツに関する情報発信者としても幅広く活躍しています。
また、上村愛子さんのプライベートでは、2024年に大きな変化がありました。
元アルペンスキー選手の皆川賢太郎さんとの離婚を、2024年10月2日に発表したのです。この発表によれば、二人の婚姻関係は実際には2023年12月9日に解消されていました。
離婚について上村さんは、「お互いを尊重し合いながら導き出した結論」とコメントしており、円満な合意によるものであることを示唆しています。
このように、上村愛子さんは、アスリートとしての経験を社会に還元しつつ、新たな人生の局面も迎えています。

上村愛子さんは、どうして皆川賢太郎さんと離婚したのかな?

それは、上村さんと皆川さんの夫婦生活の中で時間の経過と共に、お互いのキャリアの変化や社会情勢の変化で、価値観や人生の方向性について深く話し合った結果、別々の道を歩むことを選択したということらしいわよ!円満な合意というのがいいよね!
上村愛子 プロフィール
引用元:YAHOOニュース
プロフィール
- 名前:上村愛子(うえむら あいこ)
- 本名:上村愛子
- 生年月日:1979年12月9日
- 年齢:45歳(2025年7月現在)
- 出身地:長野県北安曇郡白馬村
- 血液型:AB型
- 趣味:写真撮影・散歩
- 特技:スキー
- 所属事務所:スポーツビズ