音楽・舞台で活躍を続けている横山だいすけさん。
NHK『おかあさんといっしょ』で“うたのお兄さん”を務め、全国の子どもたちから愛されてきました。その明るい笑顔と歌声は、子どもだけでなく保護者世代にも親しまれ、今なお「だいすけお兄さん」と呼ばれ続けています。
そんな横山だいすけさんの学生時代にスポットをあて、夢を見つけて歩み始めたエピソードをご紹介いたします。
【学歴】横山だいすけの出身大学・高校まとめ!
出身大学(国立音楽大学)
住所:東京都立川市柏町5丁目5-1
引用元URL:GOOD DESIGN AWARD、Googlemap 出典: Googleマップ
横山だいすけさんは、高校卒業後「国立音楽大学」に進学をします。在籍していた学部は「音楽学部声楽学科」で2006年3月に卒業をしました。音楽学部声楽学科のキャンパスは、東京都で立川市の柏町にあります。
国立音楽大学/基本情報
- 国立音楽大学は、1926年年に設立され、2026年には創立100周年を迎えます。日本で唯一の幼稚園から大学院までを有する私立音楽大学として「自由、自主、自律の精神」を礎に、音楽家や教育者の育成、そして国内外の文化発展に貢献することを目指して歩んできました。
- 2025年現在は、(演奏・創作学科学部・音楽文化教育学科)があり、学生一人ひとりが自身の目標に合わせて、専門的な知識や技能を深めることができるカリキュラムが組まれています。
- 偏差値:2025年9月時点情報
引用元:マナビジョン
- 特色
・国立音楽大学は、1926年(大正15年)に創立された東京高等音楽学院を前身とし、2026年には創立100周年を迎える、日本で唯一の幼稚園から大学院までを有する私立音楽大学です。 - 「自由、自主、自律の精神」を礎に、音楽家や教育者の育成、そして国内外の文化発展に貢献することを目指しています。

横山だいすけさんは、なんで国立音楽大学を選んだのかな?

横山だいすけさんは、歌が好きで合唱を続けていたことと、「うたのお兄さん」になりたいという夢があったのよ!特に、劇団四季出身の先輩が「うたのお兄さん」として活躍しているのを見て、憧れて、国立音楽大学の声楽科を選んだのよ!
主な卒業生
久石譲さん 大島ミチルさん 広瀬香美さん 引用元:ORICON NEWS、JASRAC、PRTIMES、高知新聞、スポニチ、ヤマハ本田雅人さん 山下洋輔さん 村松崇継さん
国立音楽大学の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、作曲家で指揮者の久石譲さん、作曲家の大島ミチルさん、歌手で作曲家の広瀬香美さん、サックス奏者の本田雅人さん、ジャズ・ピアニストの山下洋輔さん、作曲家でピアニストの村松崇継さんなどが卒業されています。

卒業生の広瀬香美さんは、2025年8月27日に総合プロデュースを手がける音楽イベント「Kohmi EXPO 2025」を開催したよね?

そうだね!広瀬香美さんは、「Kohmi EXPO 2025」をLINE CUBE SHIBUYAで開催したね!イベントは大盛況で、エンターテイナーとしての手腕が光ったイベントだったのよ!
大学時代のエピソード
引用元:ABEMA TIMES、スポニチ母校で特別講義をする横山だいすけさん
(2019年)劇団四季での横山だいすけさん
横山だいすけさんが国立音楽大学で過ごした日々は、「うたのお兄さん」になるという夢に向かって歩む、揺るぎない時間でした。
その原点は、高校1年生の夏に参加した国立音大の夏期講習会にあります。当時は専門的な音楽教育を受けた経験がほとんどなく、持参したのは高校の音楽教科書だけだったそうです。そこで出会った副科ピアノの先生から合唱団に誘われ、基礎を学ぶ場を得たことが大きな転機になりました。
大学在学中も目標は一貫して「うたのお兄さん」でした。歴代のお兄さんの多くが芸能事務所や劇団出身であることを知り、当時うたのお兄さんとして活躍していた今井ゆうぞうさんが、劇団四季出身だったことに強く影響を受けます。
「劇団四季に入ろう」と道筋を定め、大学4年生でオーディションに挑戦し、見事合格しました。ダンス未経験ながら、体重が落ちるほど厳しい稽古を重ねた努力はよく語られるエピソードです。
小学生から続けていた合唱に加え、大学では声楽(テノール)を専攻し、さらに表現を深めていきました。横山さんは後年のインタビューで「大学でも劇団四季でも、先輩や先生との出会いが自分をつくってくれた」と振り返っています。多くの人との出会いが、彼の学びを導き、夢へと背中を押していったことがうかがえます。
「うたのお兄さん」を卒業した後は、母校である国立音楽大学に戻り、特別講義を行いました。自身のブログでは、90分間話し続ける大変さや母校で語る喜びを率直に記しています。学びの場に学生として立った場所へ、今度は講師として戻る。その瞬間は、大学時代に積み重ねた経験が次の世代へと受け継がれていく象徴ともいえるでしょう。
出身高校(幕張総合高等学校)
住所: 千葉県千葉市美浜区若葉3丁目1-6
引用元URL:Wikipedia、Googlemap 出典: Googleマップ
横山だいすけさんは、「幕張総合高等学校」を卒業しています。高校時代の部活動は、合唱部に所属していました。
入学時は生徒会活動に専念しようと思っていたので、合唱部への入部は考えていませんでしたが、合唱部の先輩や先生からの熱烈なアピールがあり、気がつけば合唱部に所属していたそうです。
この幕張総合高等学校には非常に多くの部活動があり、運動部、文化部、同好会などが盛んですよ!
幕張総合高等学校/基本情報
- 幕張総合高等学校は、「総合学科」「看護科」が設置されており、生徒の多様な学びのニーズと専門的な進路に対応しています。多様性と専門性に対応しています。
- 偏差値:総合学科/64、看護科/58
引用元:みんなの高校情報
- 特色
・「総合学科」と「看護科」を併設し、幅広い科目選択と専門的な看護教育を同一キャンパス体系で展開しています。
・国際交流(留学生受け入れ・海外提携校との交流など)を継続的に実施しています。

横山だいすけさんの合唱部での活動は、どうだったのかな?

横山だいすけさんは、高校時代には、合唱部の顧問である竜田晴美先生から、歌の楽しさを教えてもらい、音楽大学への推薦状を書いてもらったことで、「うたのお兄さん」になる決心がついたんだって!
主な卒業生
石丸幹二さん 宮間あやさん 村井慎二さん 引用元:引用元:朝日新聞、東洋経済オンライン、Sports navi、週間ベースボールONLINE、週間ベースボールONLINE、お笑いナタリー村山亮介さん 早坂響さん AMEMIYAさん
幕張総合高等学校の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、芸能界では、俳優で歌手の石丸幹二さん、スポーツ界からは元サッカー選手で日本女子代表宮間あやさん、元プロサッカー選手で日本代表の村井慎二さん、元プロ野球選手の村山亮介さん、プロ野球選手の早坂響さん、お笑い界からは、お笑い芸人のAMEMIYAさん、などが卒業されています。

卒業生の石丸幹二さんは、2025年にデビュー35周年を迎えるそうだね?

そうだね!石丸幹二さんは「ミュージカル界の貴公子」として人気を集ているよね!劇団四季に在籍していた時期と退団後がちょうど半分ずつで、これからの俳優人生「第3章」をスタートさせようとしているのよ!
高校時代のエピソード
引用元:筆者制作、国立音楽大学NHKに電話する横山だいすけさんを
想像で制作
横山だいすけさんの高校時代は、将来の夢を見つけ、それに向かって動き始めた大切な時間でした。千葉県立幕張総合高等学校に入学した当初は、生徒会活動に関心を持っていましたが、先輩や先生の勧めで合唱部に入部します。
やがて学校の合唱部だけでなく、外部のセミプロ合唱団にも参加するようになり、土日も夏休みも歌に取り組む日々を送りました。まさに音楽漬けの毎日だったといえます。
高校2年生の頃、進路を考える時期に資料室で幼稚園教諭の指導要領を手にしました。そこに書かれていた「子どもにたくさんの音楽を聞かせてあげてください」という言葉が強く心に残り、子どもたちに音楽を届けたいという思いが芽生えます。
その日の帰宅後、弟と一緒に見ていた『おかあさんといっしょ』で、お兄さんやお姉さんが子どもたちと歌う姿を目にし、「これだ」と直感したそうです。
しかし、夢は見つけても、どうすれば「うたのお兄さん」になれるのかは分かりませんでした。そこで横山さんはNHKのお客様相談センターに繰り返し電話をかけ、「オーディションはありませんか」と問い続けます。
最初は相手にされなかったものの、何度も粘り強く連絡するうちに、番組の内線につながる機会を得ました。この行動力が、夢への第一歩につながったのです。
また、高校1年生の夏には、地元のピアノの先生に勧められて国立音楽大学の受験準備講習会に参加しました。音楽の基礎をより深く学ぶきっかけとなり、後に進学する大学との縁を結ぶことになります。
卒業から年月が経った2017年、テレビ番組の収録で母校を訪れた際、横山さんは自身のブログに「夢の始まりは資料室だった」と記しています。そして後輩たちへ、「上手く歌えないこともあったけれど、歌っている時が幸せだった」と伝えました。
合唱に打ち込み、進路を模索し、夢を形にしていった高校時代は、今の横山だいすけさんを支える原点だったのだと思わせてくれるエピソードです。
出身中学校・小学校
住所:千葉県千葉市緑区おゆみ野中央4丁目2
引用元URL:千葉市立泉谷中学校、Googlemap 出典: Googleマップ
横山だいすけさんは、「千葉市立泉谷中学校」を卒業しています。地元の千葉の合唱団と東京の合唱団を掛け持ちし、「歌を存分に楽しむ少年時代」を送っていました。
この千葉市立泉谷中学は、"誠実・自学・協力"を校訓に、自律・協調・思いやりに重きを置く生徒像を育成していくことを掲げています。
主な卒業生
引用元:JEF UNITED ICHIHARA CHIBA、大阪ガス岡本昌弘さん 川上拓也さん
千葉県千葉市立泉谷中学校卒業の有名人では、サッカー選手の岡本昌弘さん、短距離走選手の川上拓也さん、等が卒業されています。
住所:千葉県千葉市緑区おゆみ野中央4丁目3
引用元URL:千葉市立泉谷小学校、Googlemap 出典: Googleマップ
横山だいすけさんは、「千葉市立泉谷小学校」を卒業しています。地元の少年少女合唱団に所属していていました。泉谷小学校は野球が盛んな学校で、少年野球チーム「泉谷メッツ」は、地域でも知られた伝統あるチームです。複数の小学校から野球好きな子どもたちが集まり、切磋琢磨しています。
主な卒業生
引用元:スポニチ近藤 健介さん
千葉県千葉市立泉谷小学校卒業の有名人では、プロ野球選手の近藤 健介さん、が卒業されています。
小中学校時代のエピソード
引用元:AERA Kids Plus、mercari3歳の頃の横山だいすけさん 横山だいすけさんの夢の芽生えとなった
映画のパンフレット
横山だいすけさんの音楽人生の原点は、幼い頃の体験にあります。3歳か4歳のとき、ウォルト・ディズニー制作の映画『青きドナウ』を観て、ウィーン少年合唱団に強烈な憧れを抱きました。
両親に「目は青くないし髪も黄色じゃないけど、この人たちと一緒に歌いたい」と伝えたというエピソードは、のちに「うたのお兄さん」を目指す夢の芽生えとなりました。
小学生の頃には、国語の音読の宿題が表現力を育てるきっかけになりました。
最初は恥ずかしくて棒読みでしたが、お母さんから「もっと心を込めて読みなさい」と言われ、嫌々ながらも取り組むうちに感情を込める習慣が身につきました。この経験は、大人になってから「うたのお兄さん」として絵本を読み聞かせる際に大いに役立ったそうです。
もともとは恥ずかしがり屋でおとなしい性格でしたが、中学時代に生徒会の副会長や会長を務めることで大きく変わりました。
先生に背中を押されて挑戦した活動を通して、人前に立つことの楽しさを知り、みんなを盛り上げる喜びを味わったことが、現在の明るいキャラクターにつながっています。
また、音楽好きなお母さんの存在も大きな支えでした。
「音楽は人の心を豊かにするもの」という考えのもと、ヤマハの幼児科や地元の少年少女合唱団へ入団し、小学3年生から大学まで合唱を続ける土台を築きました。
こうした環境が、横山さんの歌への愛情を自然に育てていったのです。
さらに、小学1年生から6年生まで通ったお絵かき教室では、絵にとどまらず七宝焼きや版画など幅広い創作に触れる機会がありました。
特に先生が「子どものうちにいろいろな色に触れることが大切」として、学校では使わないような珍しい色を自由に使わせてくれた経験は、横山さんの豊かな感性や表現力を育てる貴重な体験になりました。
【学歴】横山だいすけの妻はだれ?馴れ初めは?
妻はだれ?
引用元:北陸中学校 横山桃子さん
横山だいすけさんの妻である桃子さん(旧姓・柴田)は、福井県出身のダンサー、振付師、女優です。
3歳からクラシックバレエを始め、モダンダンスやジャズダンス、タップ、日本舞踊など幅広く学びました。中学時代には宝塚を目指して兵庫の専門塾に通い、16歳で宝塚音楽学校に現役合格。
しかし「自分の思い描いた世界と違った」と感じ、わずか2か月で退学という潔い決断をしています。
その後、19歳で劇団四季に入団し、8年間在籍しました。『アイーダ』『ウィキッド』『ライオンキング』『美女と野獣』などに出演し、ダンスキャプテンも務めるなど実力を発揮しました。
退団後は振付師としても活動し、ミュージカル『未来への贈り物』の振付を担当するなど、表現活動の幅を広げています。
横山だいすけさんは、2019年11月6日に桃子さんとの結婚を発表しましたが、横山だいすけさんと柴田桃子さんの関係には、一度破局の時期がありました。その理由は、横山さんが「うたのお兄さん」として活動していた当時の恋愛禁止ルールにあります。
NHK「うたのお兄さん・お姉さん」への行動制約があるようなのですが、どのような規約があるのかまとめてみました。
ドキュメンタリー番組や関係者による取材などによると、以下のような制限が番組出演者には課せられていたとされています
① 恋愛禁止/結婚・妊娠の禁止:番組のイメージを守るため、交際や結婚、妊娠は実質的に制限されていました。
② NHK以外への出演制限:他局のテレビ出演は禁止され、NHKとの契約に基づく独占的な出演体制が求められました。
③ スポーツ・車の運転・海外旅行の禁止:けがや予期せぬトラブルを防ぎ、収録に支障が出ないよう行動の自由が制限されていました。
④ 派手な服装やネイル、立ち食い、信号無視なども禁止:子どもたちの模範となる役割を担うため、ふさわしくない行動や見た目の制限も存在しました。
⑤ 極めて過密なスケジュール:収録やリハーサル、地方公演などが週単位でぎっしり組まれることも。これにより休息や私生活を確保する余地が少なかったといわれます。
坂田おさむさん(元・うたのお兄さん)は、当時は明文化された行動指針(契約書には該当条項はない)まではなかったと証言しています。ただし、プロデューサーから車の運転を避けるように、など「非公式な助言」はあったと振り返っています。

「うたのお兄さん・お姉さん」への行動制約って、随分あるんだね?

そうね。それは、局としてのイメージ管理や出演者の安全・スケジュール管理を含めた多方面の配慮から、行動や生活全般にわたる制限が必要になるのよ。夢を追いかけてつかんだけど、かなりの制限も与えられるのだから、覚悟がないとできないよね!
馴れ初めは?
引用元:インスタグラム
横山だいすけさんと桃子さんの出会いは国立音楽大学時代にさかのぼります。
二人は同期として学び、卒業後は劇団四季で共演しながらお互いを支え合いました。しかし、横山さんが「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんに就任したことで状況が一変します。
恋愛には細心の注意が求められる立場となり、本人も「夢に集中しなければ」と強い覚悟を持ったため、二人は涙ながらに別れを選びました。
愛し合っていても、あえて別れを選ばざるを得ないケースは確かにあります。いくつか代表的なパターンを挙げてみましょう。
① 夢や目標を優先せざるを得ない時
② 距離や環境の違い
③ 相手を守るため
④ タイミングのすれ違い
⑤ 成長のための一時的な距離
このような別れは、時に一時的なものであり、再会したときには絆がより深まることもあります。
横山だいすけさんと桃子さんも、まさに夢や職業の制約による別れを経験しました。それぞれの道で努力し、再会後すぐに結婚に至ったのは、お互いの成長と確信があったからこそでしょう。
再会したときは、「やっぱりこの人しかいない」という安心感と、「今なら一緒に進める」という誇らしさが混ざり合い、恋愛に信頼と感謝が加わった、より成熟した愛に変化していたんでしょうね!

一度離れたら終わりって思いがちだけど…

逆に“再スタートのきっかけ”になることもあるんだね!
横山だいすけ プロフィール
引用元:横山だいすけオフィシャルホームページ
プロフィール
- 名前:横山大介(よこやま だいすけ)
- 本名:横山大介
- 愛称:だいすけお兄さん
- 生年月日:1983年5月29日生
- 年齢:42歳(2025年9月現在)
- 出身地:千葉県千葉市
- 血液型:O型
- 趣味:スーパーのチラシを見ながら、あるもので料理を作ること
- 特技:料理
- 所属事務所:株式会社ケン企画