映画・音楽・文学・社会貢献などで活躍を続けている吉永小百合さん。
日本映画界のトップスターとして、数々の名作を生み出してきました。
そんな吉永小百合さんの学生時代にスポットをあて、エピソードを交えご紹介させて頂きます。
【学歴】吉永小百合の出身大学・高校のエピソードまとめ!
出身大学(早稲田大学)
住所:東京都新宿区戸塚町1丁目104
引用元URL:早稲田大学、Googlemap
吉永小百合さんは、高校卒業後「早稲田大学」に進学をします。在籍していた学部は「第二文学部」西洋史学を専攻し、1969年3月に卒業をしました。第二文学部は現在「文学部」「文化構想学部」になり、戸山キャンパスにあります。
早稲田大学/基本情報
- 早稲田大学は、1882年に設立され、創設者の大隈重信によって「東京専門学校」として設立されたのち、1902年に「早稲田大学」の名称に変更され現在に至ります。2025年現在は、(政治経済学部・法学部・文化構想学部・文学部・教育学・商学部・基幹理工学部・創造理工学部・先進理工学部・社会科学部・人間科学部・スポーツ科学部・国際教養学部)の13学部があり、人間学部には通信教育課程も設置されています。
- 偏差値:70.0(文学部)/2025年時点情報
引用元:みんなの大学情報
- 特色
・早稲田大学は、自主独立の精神を持つ近代的国民の養成を理想として、権力や時勢に左右されない、科学的な教育・研究を行ってきました。
・建学の理念とそこから生まれ受け継がれてきた早稲田スピリットは、私たちの財産。早稲田人がひとしく身につける校風です。

吉永小百合さんは、なんで早稲田大学を選んだのかな?

吉永小百合さんは、学問への強い意志があって、早稲田大学の第二文学部は夜間学部があったことから、仕事と学業を両立させやすかったんじゃないかな!
主な卒業生
堺雅人さん 内野聖陽さん 羽鳥慎一さん 引用元:MOVIE WALKER PRESS、映画.com、TAKEOFF INC、聖飢魔II公式ウェブサイト、西日本新聞、毎日放送デーモン閣下さん 羽生結弦さん 東国原英夫さん
早稲田大学の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、芸能界では、俳優の堺雅人さん、内野聖陽さん、アナウンサーの羽鳥慎一さん、音楽家でタレントのデーモン閣下さん、スポーツ界からはフィギュアスケート選手の羽生結弦さん、政界から政治家の東国原英夫さん、などが卒業されています。

卒業生の内野聖陽さんは、航空自衛隊の教官役としてドラマに出演しているよね?

そうだね!内野聖陽さんは連続ドラマ「PJ~航空救難団~」で訓練生に厳しい指導をする教官役として出演しているよ!教官役に相応しいように、クランクイン前から体作りをしたり、撮影の合間にも筋トレをしたりしているんだって!ストイックでかっこいいよね♪
大学時代のエピソード
引用元:週刊女性PRIME、NEWSポストセブン
吉永小百合さんは、大学在籍期間中、馬術部に所属していました。女優業と学業の両立で多忙な日々を送りながらも、馬術部での活動は心身のリフレッシュや自己鍛錬の場になっていたそうです。また、馬との信頼関係を築くことは、女優としての表現力にいい影響を与えることになったと話しています。
タレントのタモリさんには早稲田大学に在学していた頃、学生食堂で吉永小百合さんが食べ残したものを食べようか迷って思いとどまったというエピソードがあります。吉永小百合さんはすでに、国民的な女優として活躍をしていましたが、タモリさんはこの頃から憧れを抱いていたそうです。
左の画像は、早稲田大学を次席で卒業したときのものです。まるで映画のワンシーンのように美しいですよね。右の画像は1965年(当時大学1年生)に出演した『青春のお通り』でのシーンです。
出身高校(東京都立駒場高等学校)
住所:東京都目黒区大橋2丁目18-1
引用元URL:東京都立駒場高等学校、Googlemap
吉永小百合さんは、「東京都立駒場高等学校」に進学しています。卓球部に所属しましたが1週間で退部、その後は放送研究会に転部しました。この東京都立駒場高等学校は、運動部・文化部ともに活動が非常に盛んなことでも有名ですよね!
東京都立駒場高等学校/基本情報
- 東京都立駒場高等学校は、「普通科」「保健体育科」が設置されており、進学指導特別推進校などの指定を受けています。
- 偏差値:普通科/68、保健体育科/58
引用元:みんなの高校情報
- 特色
・緑多き広大なキャンパスの中に普通科と保健体育科を併設しており、両学科の長所を学校全体で生かして、充実した教育活動を実施しています。
・思考力、判断力、表現力を鍛えて、国公立大学への進学等、高く掲げた進路志望が実現できる学校として、多くの取り組みを行っています。

吉永小百合さんは、高校時代部活動やクラブ活動はしていたのかな?

高校時代の部活動・クラブ活動は、放送研究会に入部していたよ!1学年先輩にいた歌手の加藤登紀子さんが部長を努めていて、とても魅力を感じて入部したんだって!
主な卒業生
阿部亮平さん 村上純さん 加藤登紀子さん 引用元:ORICON NEWS、吉本興業、日本コロムビア、日テレ学院、全日本柔道連盟、JOC菅家ゆかりさん 田辺陽子さん 溝江明香さん
東京都立駒場高等学校の卒業生には多くの才能を持った人材が卒業しており、芸能界では、アイドルグループSnow Manの阿部亮平さん、お笑い芸人しずるの村上純さん、歌手の加藤登紀子さん、アナウンサーの菅家ゆかりさん、スポーツ界から柔道家の田辺陽子さん、ビーチバレーボール選手の溝江明香さんなどが卒業されています。

卒業生の阿部亮平さんは、頭脳派アイドルなんだよね?

そうだね!阿部亮平さんは、仕事をしながら上智大学理工学部に進学、さらに大学院も修了しているよ!合格率4%の気象予報士の資格も持っているんだって!すごいよね!
高校時代のエピソード
引用元:NEWS ポストセブン、PR TIMES
吉永小百合さんは高校在籍期間中、日活撮影所に所属し、1年生の間だけで16本の映画に出演するほど、多忙な芸能生活を送っていました。このため、駒場高等学校での学校生活が困難になり、1961年1月(高校1年生時)に精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に転校しました。
精華学園女子高等学校は、芸能活動を行う生徒を受け入れ、吉永小百合さんの他にも美空ひばりさんや中尾ミエさんなど、多くの著名人が在籍していたそうです。
吉永小百合さんは1962年4月(当時高校2年生)に歌手デビューを果たし、同年9月には橋幸夫さんとのデュエット曲『いつでも夢を』を発売。300万枚の大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞しました。
左の画像は1961年(当時高校1年生)の作品「ろくでなし稼業」に出演したもので、右の画像が1962年(当時高校2年生)の作品「若い人」に出演したものです。とても美しいですよね!
その後も、芸能活動は相変わらず忙しく、最終的には精華学園高等学校を中退することになりました。しかし、学問への強い意志は持ち続けていたため、大学入学資格検定に合格し、早稲田大学へと進学します。
出身中学校・小学校
住所:東京都渋谷区西原1丁目46-1
引用元URL:渋谷区立代々木中学校、Googlemap
吉永小百合さんは、「渋谷区立代々木中学校」を卒業しています。演劇部に所属していて、将来は新劇に挑戦したいと考えていたそうです。この渋谷区立代々木中学校中学は、スポーツ活動が活発で、特に柔道部と陸上部などが注目されています。
主な卒業生
引用元:STARTO ENTERTAINMENT、日経クロストレンド山田涼介さん 野田秀樹さん
東京都立渋谷区立代々木中学校卒業の有名人ではアイドルで俳優の山田涼介さん、演劇家の野田秀樹さんなどが卒業されています。
住所:東京都渋谷区西原2丁目22-1
引用元URL:陸上養殖体験プロジェクト、Googlemap
吉永小百合さんは、「渋谷区立西原小学校」を卒業しています。小学6年生の時にラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューをしています。この渋谷区立西原小学校は、渋谷区内で3番めに古い歴史のある小学校です。
主な卒業生
引用元:スポニチアネックス、otocoto和田唱さん 田中真弓さん
東京都渋谷区立西原小学校卒業の有名人では、ミュージシャンの和田唱さん、声優の田中真弓さんなどが卒業されています。
小中学校時代のエピソード
引用元:スポーツ報知、PR TIMES
吉永小百合さんは、小学生の頃に父親が事業に失敗したため、経済的に厳しい家庭環境で幼少期を過ごしました。給食費が払えず、学校で催促されても「忘れてきました」と繰り返していたこともあったそうです。
中学3年生になると、本人の知らないところで芸能界入りの話が進み、高校入学と同時に日活撮影所に所属するようになります。経済的に困窮していた経験があることから、貧困や社会問題に直面する少女役で出演した「キューポラのある街」では、熱の入った演技ができたと話しています。
左の画像は1957年(当時12歳)のラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューを飾った頃、右の画像は1960年(当時15歳)の作品「拳銃無頼帖 電光石火の男」で喫茶店のウエイトレス役として出演した頃のものです。
吉永小百合が子供を持たなかった理由は?
引用元:日刊スポーツ
吉永小百合さんは、1973年に15歳年上のドラマプロデューサー岡田太郎さんと結婚しました。実際のところはどうだったのでしょうか。
岡田太郎さんは、フジテレビのディレクターや共同テレビの会長なども務め、多方面で活躍を続けながらも吉永小百合さんの女優業を支えてきました。
そんな2人は子供を持たなかったのですが、一体なぜでしょうか。
それにはこんな理由があるようです。
理由①自身の母親との関係が複雑だったこともあり、「母親になる自信がなくて…」と話していた
理由②夫婦で話し合い、子供を持たない選択をしていた
吉永小百合さんは女優業に忙しく、岡田太郎さんはそんな日々をずっと支えてくれていたそうです。

吉永小百合さんは、母親役として数々の映画に出演しているよね?

そうだね!吉永小百合さんは、昭和初期の日本を舞台にした「母べえ」や、亡くなった息子の霊と話す助産師役に挑んだ「母と暮せば」などで、母親役を演じているよ!さまざまな母親の愛情や家族の絆を表現して、たくさんの感動を与えてきたよね!
吉永小百合と夫の馴れ初めは?
引用元:日刊スポーツ
吉永小百合さんは、当時19歳のときに岡田太郎さんと出会いました。当時は、吉永小百合さんには交際している別の男性がいて、岡田太郎さんもそのときはまだ既婚者でした。
吉永小百合さんは26歳の頃、交際していた男性との破局、両親との確執、多忙な女優業など極度の過労とストレスで声が出なくなってしまいます。そんな中、支えてくれたのが一緒に仕事をしてきた岡田太郎さんでした。
詳しい馴れ初めは公表されていませんが、2人が結婚に至ったのには、こんな理由があるようです。
理由①離婚歴のある岡田太郎さんは及び腰であったが、吉永小百合さんの熱烈なアプローチに押された
理由②「女優であるより前に、僕の妻であってほしい」と話し、多忙を極める吉永小百合さんを少しでも休ませてあげたかった
吉永小百合さんは、結婚後も仕事をセーブすることなく、結婚により精神的な自由を得てますます精力的に活動を続けました。

吉永小百合さんの両親は、結婚式に出席しなかったんだよね?

そうだね。両親は離婚歴のある岡田太郎さんとの結婚を反対していたんだよ。吉永小百合さんも母親とは疎遠になっていたんだけど、岡田太郎さんの穏やかな姿勢と支えが、和解へと導いたらしいよ!吉永小百合さんにとって、岡田太郎さんの存在は精神的な支えになっていたんだね!
吉永小百合 プロフィール
引用元:映画.com
プロフィール
- 名前:吉永 小百合(よしなが さゆり)
- 本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)
- 生年月日:1945年3月13日
- 年齢:80歳(2025年5月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:読書、鉄道、将棋、お酒、スポーツ観戦、乗馬、絵画鑑賞
- 特技:水泳、日舞、声楽、スキー
- 所属事務所:吉永小百合連絡事務所